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ビューティアイズ銀座ブランド買取カラコン友禅市場

「先生の次回作にご期待ください。」


 スカートの中に手を入れて一瞬で、こいつは雪女だ、と気が付いた。やわらかい太腿に触れた手が、それこそ一瞬で凍傷になったからだ。凍傷になったのは久しぶりで、皮が剥がれかけているというその恐怖感と実際の痛みと、目の前の三つ編み厚着の女の子が雪女である事実に動揺した。だって、雪女がもし僕の知っている雪女だとしたら、こんな都会の電車の中にいるはずがない。
 けれど、僕の手は現に凍傷状態になっている。こんな状態になったのは小さい頃間違えてドライアイスに触った時以来だった。雪女の体温について良く調べたことはなかったが、身を以て体感することになるとは思わなかった。
 雪女についてはもう既に歴史の一部と化している。この世界に雪女が現れ出したのは今から約40年前のことだ。27歳のOLが帰り道不審者に襲われた際、その不審者を凍らせて窮地を脱したのが最初の雪女の発現例である。これは後天性雪女症候群患者のパターンだった。今では珍しいパターンだ。雪女というのは今は先天性が主だからだ。
 暫定的に症候群と呼んでいるが、原因はわかっていないし、そもそも病気なのかもわからない。その40年前の発現を皮切りに、世界には何万人もの雪女が現れ出した。これが歴史の教科書にももう載っている、雪女ショックである。
 雪女症候群を発症した人間は前述の通り、人を凍らせる能力を持つ。体温は氷点下まで下がり、周りの気温が高ければ高いほど頭痛、吐き気、眩暈に襲われ、最悪の場合死に至る不治の病だ。文字通り女にしか罹らず、後天性で感染することもあるが、現在の予防策が功を奏し、主立って先天性の病気となっている。
 原因が分からないのにどうして予防策が功を奏したのか。
 それは、世界が彼女たちを完全に排除したからである。


 雪女人権保護法(雪女人権侵害防止法)
1、雪女症候群患者(以下、雪女とする)は公共施設及び公共交通機関を利用してはならない。
2、雪女は異性及び同性の人間と政府の許可無しに交際してはならない。
3、雪女は人間との差異をしっかりと自覚し、雪女居住区(雪女村)から許可なく出てはならない。許可証無しで居住区から出た場合、その身柄は速やかに雪女収容所に送られることとする。


 まだまだたくさんあるが、法学部でもない人間が把握しているのは大体こんな所でいいだろう。雪女を見つけたら雪女保護管理官へ電話を一本! とわかりやすいキャッチフレーズで覚えられているくらいなんだし。
 こんなもの完全な差別だ。彼女たちは犯罪者でもなければ動物でもない。けれど、僕たちは怖かった。雪女は兵器になる。彼女たちが手をかざすだけで、人間は簡単に凍りつく。彼女たちは強者だった。だから隔離された。
 雪女たちは強大な力を持ちすぎたから迫害された。名実が伴った魔女狩りに遭う雪女たちは、家族や友人を人質に、あるいはけしていい環境ではない雪山の居住区への物資の打ち切りなどを枷に、迫害され続けた。彼女たちは氷点下の体温と寒い場所で生きていける身体構造、相手を凍らせる能力を持っていたが、ちゃんとお腹もすくし安全な場所で眠らなくては生きていけない。
 それでも雪女はどこからともなく現れた。都会で人間に囲まれ、雪女を疎ましがっていた人間の愛娘が手から小さな吹雪を起こしていた時、母親は十中八九卒倒する。何も悪いことをしていないのに、どうして私の子が! という叫びで埋め尽くされる世界で、誰かがそっと呟く。雪女たちだって何も悪いことなんてしていない。
 雪女がもし居住区を離れ――あまつさえこんな都会で電車なんかに乗っていたら、それは重大なルール違反だ。有無を言わさず言い訳無用で即、収容所送りになるだろう。それに、僕たち人間には雪女を見つけたら即座に雪女保護管理局に通報する義務があるのだ。
 もし、相手が雪女だと知っているのにも関わらず雪女保護管理官に報告しなかったらどうなるか? 勿論、その人間だって収容所送りになる。
 収容所がどうなっているかはわからない。そこはいわば雪女症候群に怯える回数が減った安全な社会の路地裏だからだ。自分たちの安全の為に雪女たちをそんな場所に押し込めるなんてことは、どう考えてもあまり夢見が良くないことだ。だから、無知な小学生とかが冗談や都市伝説として口にする以外に収容所なんて僕たちの会話にはまず出てこない。
 そんな場所が良い場所なはずがない。あれだけ過酷な雪山の中に半ば放り出されている雪女たちが泣いて怯える場所なのだ。それはつまり、収容所は首都の片隅に在るけれど、猛獣が出る雪山よりも最低な場所ということだ。
 それが怖くて、雪女への監視はもっと酷くなった。誰も彼もが女であれば雪女ではないかと疑う暗黒の時代もあった。隙あらば迫害し襲ってくる人間に対し、雪女が反撃してしまったこともある。しかしそれは、雪女にまさにそうされることに怯えていた人間たちへの考え得る限りの最低の応酬だった。雪女と人間の確執は長い間続き、雪女が完全に居住区に追い立てられ棲み分けが出来るようになったのは、つい最近のことだ。
 僕は善良な一市民なのでこいつを通報する義務がある。しかし、男女の観点から考えてみれば、通報されるのは僕の方だ。今も昔も、痴漢は尤も卑劣な犯罪の一つという不名誉な市民権を得ているのだ。今ここで声をあげたら、この女も僕を痴漢だとして喚き散らすだろう。世界で一番キツいドローだ。お互いに、探られている腹が痛すぎる。


 僕が痴漢した三つ編みの雪女は今時見ないくらいダサい厚手の手袋で必死に僕の手首を掴んでいた。この不自然なまでの厚着や手袋は防寒ではなく、異常に冷たい体温を隠す為なのだろう。そう考えてみればこの女は明らかにおかしい。周りの人間がもう少し早くこの三つ編み女を怪しいと思って雪女だと見抜いていれば、僕は雪女のスカートの中になんか手を差し込まなかっただろう。
 三つ編み女は冷たい声で僕に囁く。
「次の駅で降りてください」
「俺は何もやってな」
「降りて」


 降りた。


 痴漢が捕まった時に連れて行かれるのは駅長室らしいが、雪女が僕を連れて行ったのは人目を避けた駅の隅だった。お互いに後ろめたい時は陰で話すに限る。三つ編みの雪女は僕を睨みつけながら言った。
「貴方痴漢したでしょう」
「お前雪女だろ」
 お互いにジョーカーを1ターン目から出した形になった。蛇と蛙の睨みあいという言葉が似合うものの、この場合の蛇はどちらだろう。世間体かそれとも世界のタブーか。
「俺は通報するぞ」
 雪女を見つけたら一刻も早く通報しなくちゃいけない。街中に痴漢がいても軽蔑の目で見るだけだが、雪女が街中にいたらパニックだ。さっきは躊躇ったが、この状況は明らかに雪女の方の分が悪いだろう。僕は本気だった。何せ僕はもう既に仕事に遅刻しそうなのだ。全てを清算するにはこいつを通報してしまうに限る。
 僕の渾身の切り札に対しても、雪女は平然としていた。そのままダサい格好に似合わない上品さで口を開ける。
「そうしたら私も貴方が痴漢だって言いますよ」
「はあ?」
「いくら私が雪女でも、貴方が痴漢をした事実に変わりはない」
 それは僕も重々承知だ。何せ、僕の右手は未だにひりひりと痛い。ドライアイスで撫でられたような痛みは簡単には引かない。
「むしろ雪女が居住区を離れこんなところに来ているなんて周りに知れたら大ニュースになるでしょうね。『どうしてこの卑しい女が雪女だとわかったんですか?』と尋ねられてどうお答えするんです? 私は人間として見られていない犬畜生の雪女ですからね、恥も外聞もなく『この人は私のスカートの中に手を差し込んで凍傷になったから私の正体に気が付いたんですう』ってリークしますよ。それでもいいならどうぞ」
 雪女がにやにやと笑う。完全に迂闊だった。
 こいつは雪女だけれど見た目は普通の女の子だ。それに、いつの時代も痴漢というものは精神的火炙りにかけられるほどの重罪で、おまけに僕は公務員ときている。いくら雪女を掴まえたという偉業を成し遂げたとしても、その分付随して痴漢をしたという事実の影は濃くなっていく。
 雪女がこんな場所にいたとなったらそれは大ニュースになるだろう。それと同時に、僕の痴漢についても大々的に報じられる訳だ。きっとそれは職場にも。
「……何が目的なんだ」
「人を探して欲しいの」

 何となく予想していた言葉だった。

 雪女が危険を冒して都会に来る理由なんて大体決まっている。大方は、幼い頃に引き離された両親に会う為だ。居住区に隔離された雪女とその家族との面会は固く禁じられていて、彼らを繋ぐものは実のところ手紙とかそういう極めてアナログなものに限られてしまう。だからたまにこういう雪女がいるのだ。取り決めを破って居住区を離れ、激情のままに家族に会いに来てしまうやつが。
 目の前の三つ編み女もよく見ればアリアドネの糸のように素っ気ない封筒を握りしめている。ステレオタイプの脱走犯。この女が他の雪女たちと違っているところは彼女が痴漢を掴まえたことだ。
「……住所はわかってるんだろ」
「私は居住区から出たことがないから、どこに行けばいいかわからないの」
「それで僕を案内人に?」
「案内してくれないなら貴方を殺します」
 雪女という正体がバレた以上、おおっぴらに僕を脅すことが出来ることに気が付いたのだろう。それはとても効果的だ。
「……僕はオブスマ」
「私、ノエル。佐々木ノエル。十六歳」
「よくもまあそういう冬とか雪とか連想させる名前をつけられたもんだね、だから雪女症候群なんて発症するんじゃないのか?」
「黙って。あんまり私のことを馬鹿にしても殺す」
 黙った。
「それじゃあよろしくお願いしますオブスマさん。目的地目指して頑張りましょう」
 厚手のコートにマフラーを巻いた佐々木ノエルは首を傾げながら笑った。こうして見ると普通の女の子だった。



 ノエルが指定した駅はここから全く逆の駅だった。それに遠い。どうやら本当に電車に乗ったことがないようだ。土地感覚が無さすぎる。
「住所は教えてくれないのか?」
「雪女に届いた手紙は第三者に見せてはいけないって規定があるでしょう」
「それは雪女が出身地で徒党を組むのを恐れての規定だ。僕には関係ない」
「そうであってもオブスマさんには見せたくありません」
 可愛らしく三つ編みを揺らすノエルには苛立ちしか覚えない。けれど、あまり挑発して殺されるのも嫌だった。いくら見た目がそこらの女子高生と大差なくてもこいつは雪女で、少しその気になれば僕のことなんか容易く殺すことが出来る。もっともこんな衆人環視の下でそんなことをすればノエルだってただでは済まないが、身を以てノエルを告発するのには躊躇いがある程度には、僕は命が惜しい。
 痴漢をしたら人生が終わった。別に痴漢をしようと思ってあの電車に乗り込んだわけじゃない。ストレスフルな仕事と変わらない毎日と三十四歳独身という現実があまりにきつかったというのは言い訳になるだろうか。なっていたらこの世から痴漢はいなくなるから多分ならないだろう。正直痴漢をした際に得られると仮定されるカタルシスなんて全く得られなかった。何かを求めるように手を伸ばした先が氷点下の温度と激痛だった。
「……魔が差した?」
「そうかもしれない……っていうか本当はやるつもりじゃなかったんだって。お前がそんな短いスカート履いてるから……揺れた時にこう、なんか近くて」
「だから触ったと?」
「触りました」
「最低」
 電車が止まった。丁度こんな程度の揺れだったな、と思いながら立ち上がる。ノエルは未だに僕を冷たい目で見ていたが、大人しく着いてきた。
「お父さんもこんな人間なんでしょうか」
「こんなって? 親切なってこと?」
「私みたいないたいけな女の子に痴漢するような人間です」
「俺は初犯」
「正直お父さんが痴漢で捕まった時に『大丈夫だよノエル、初犯だから!』って言われても何の慰めにもなりません」
 降りた場所は海沿いの小さな街だった。居住区から出たことの無い雪女にはそれでも珍しいのか、忙しなく視線を動かしている。
 街はクリスマスの準備をしていた。そこら中に青と白のファイバーで彩られた門松が見える。クリスマスでは窓辺にお菓子とミルクを置いておくと先祖の霊が家を訪問してくれるので、それに対して豆を巻くというこの国の伝統行事だ。街は完全に浮かれている。どう関係があるのかわからないが、裕福な家の子供たちはお父さんが扮した獅子舞にプレゼントも貰えるらしい。僕はこれを、いつの間にかクリスマスにプラスされた玩具会社の策略なんじゃないかと思っている。
「大丈夫、君のお父さんはそんな人じゃない」
「オブスマさんに何がわかるんですか」
 気難しい子供だ。
 クリスマスの浮かれた街に似合わない険しい顔をしているのは自分がここにいるべきじゃない人間だと思っているからだろうか。
 ノエルはぽつぽつと小出しに住所を漏らしていく。そこまで大事なものなのだろうか。そうなのかもしれない。
 だって、雪女たちはそれしか拠り所が無いから。
「綺麗な街ですね」
「普通だよ。浮かれてるけど」
「でも、あそこにもあそこにも沢山の家族がいます」
「クリスマスだからね」
 雪女には規定が沢山ある。情報統制に始まり物資統制にまで及ぶ連綿と連なる規制の項目は雪山の雪にも勝る。クリスマスなんかきっとノエルは祝わない。
「君にだって家族はいるんだろ」
「ええ」
「俺には教えたくないくらい素敵なのが」
「……お父さんはこんな私を見捨てずに手紙を送り続けてくれました。私は一人ぼっちじゃないんだって」
「……良いお父さんだね」
「それはもう!」
 ノエルの顔がほころんだ。こうして見るとノエルは当たり前だけれど普通の女の子だった。十六歳だ。
「お父さんの書く手紙はですね、すごく綺麗なんです。私のことを思ってくれてるっていうのがふわぁって立ち上ってくるような感じで。もしかしたら、私のお父さんって小説家とか、そういう言葉を操る仕事なんじゃないかなって思うんです」
 ノエルの父親がどれだけいい人か僕は知る由もない。僕は子供なんて持ったことがないし、そういう感じの愛情すら知らない。だから、そんな手紙程度でここまでノエルが夢を見られるのがおかしかった。
 ノエルは幸せな雪女かもしれないが、人間から見たらずっと不幸だ。ぬいぐるみを買って貰って喜ぶ子供を見つめるノエルの顔は諦めるのが上手い子供の顔だった。
「ぬいぐるみ欲しかった?」
「ええ。でもぬいぐるみは禁止なんです。凶器になるから。雪女が固めて殴るかもしれないから……ブラックジャックみたいにっていうんですけど、私たちが保護官に危害を加えるならそのまま相手を凍らせちゃいますよね」
 居住区にいる保護官たちは雪女たちに殺されるかもしれないという恐怖と戦っているのだ、という色々な意味でアウトな感じのドキュメンタリーを昔見たことがある。彼らの苦労はぬいぐるみに憧れる目の前の垢抜けない女の子からぬいぐるみを奪い取ることから始まるのだな、と適当に思う。そのドキュメンタリーではそんなことは全く放送されなかった。
「ぬいぐるみ買ってやろうか?」
「何でオブスマさんが?」
「示談金」
 ノエルの顔が一瞬しかめられ、そしてすぐに笑った。僕は本気だったのに、上手くあしらわれた感じになった。示談金がそれじゃ安すぎるという意味なのか、それともぬいぐるみが自分にはあまりにもそぐわないものだという考えに憑りつかれているのかはわからない。
「父親に会ったら、ぬいぐるみ買って貰えよ」
「……そうですね」
 クリスマスに浮かれた街並みも、ショーウインドウに並べられたぬいぐるみも、雪女には与えられない。ものそれ自体が雪女を排除するようにこの世界の仕組みは出来ているのだ。ノエルが自分からぬいぐるみをそぐわないものだとして取り落としてしまうように。
 ショーウインドウもウインドウショッピングも雪女をやんわりと拒絶する。ノエルが拒絶されない場所は――自販機だ。これなら人間も雪女も差別しない。僕はクリスマスでも素っ気なさを保ってくれている自販機を指さす。
「何がいい?」
「はい?」
「どうせ居住区から出てきて一息ついてもないんだろ。何でも奢ってやるよ」
「……冷たいものなら何でも」
 ホットココアなんかを買い与えたらノエルは内臓から焼けるんだろう。僕がノエルの太腿に触った時のように、雪女の世界と人間の世界は互いを身体の芯から拒絶する。
「私、そこの角で待ってますから」
「気分が悪いのか? ここは少し温かいから」
「違うんです。……私、ずっと思ってたことがあって」

 ノエルの顔色が悪い。

 雪女だから体温なんか無いのはわかる。けれどこれは違う。氷点下の温度だろうがノエルにだって血は通っているはずなのだ。それなのに、今のノエルは絶望的なまでに真っ白だ。本物の雪みたいに。
「何が」
「私リンゴジュースがいいです」
 早口でノエルが呟いた。そのまま足早に角の向こうへ消えていく。気難しい十六歳だ。
 果汁が30%のものと果汁が100%のものをしばらく見つめ続けて考える。そういえば体よく仕事を休んでしまった。命の危険があったし名誉的な意味でも危機に瀕していたから背に腹は代えられなかった……そう言うにはノエルは迂闊すぎる。この浮かれた空気にあてられて一人になりたかったのかもしれないが、僕から目を離すことはノエルにとって致命傷と言ってもいいくらいの痛恨のミスだ。僕はリンゴジュースを放置してそこら中を歩き回っている保護官たちにノエルの存在を告発すればいい。もう流石に出勤する気にはなれないが、こんな状況からは脱け出して自宅の布団で震えていられる筈だ。
 けれどそうする気にはなれなかった。ノエルが僕を殺すとは思えなかった。今のところだけれど。機能性しかない厚手の装備を携えたダサい三つ編みは僕を傷つける意思なんて無い。ぬいぐるみすら諦められるなら、多分僕を傷つけない。
 自販機がピーピー言い始めてようやく果汁100%の方のボタンを押した。こんな真冬にこんなものを飲むなんて狂気の沙汰だと思うくらい冷たい缶を拾い上げてノエルの元へ戻る。泣いているかもしれないな、と思った。雪女の涙は目から分泌された瞬間から凍り始めるのかな、とどうでもいい予想をした。
 ノエルが待っているはずの角を曲がる。雪女の涙についての疑問は解けなかった。

 ノエルは泣いていなかった。何の代わりにもならないけれど、一応その代わりに、男がのた打ち回っていた。

 傍らには魂を抜かれたようなノエルが立っている。男の左足はムートンブーツよろしく厚く覆われていた。ただし、ファーなんかじゃなく氷にだ。氷漬けになった左足は切断するしかないだろう。医学の心得の無い僕にだってわかる。どうしようもない状態だ。雪女の作る氷を、僕は初めて見た。
 この男が何なのかは制服でわかる。巡回雪女保護官だ。普通の人間が気が付くはずなんてないのに、ノエルはパニックに陥ったに違いない。そうして、あの厚手の手袋を外して、保護官の足を。
 ノエルがようやく僕の方に気が付いたのか、縋るような目で僕を見た。
「オブスマさん、私」
「もういい喋るな。逃げるぞ。すぐにこんなの回る」
「雪女保護官の人が」
「捕まりたいのか」
 手袋を片方地面に落としたノエルは俯いたまま動かない。走りにくいのにわざわざノエルの左手を掴んで引っ張った。弾かれたようにノエルの足も動き出す。背後から左足を駄目にした保護官が口汚く罵るのが聞こえた。僕は地獄なんか信じちゃいないが、収容所と言う言葉にはそれなりに背筋が寒くなった。
 歩みの遅いノエルが茫然自失の状態のまま呟く。
「私のこと怖いですか」
「死ぬほど怖い」
「私はオブスマさんを傷つけたりしないって言っても?」
「そういうことじゃないんだよ、怖いっていうのは。今お前を怖くないっていうのも簡単だし、こいつは絶対僕を攻撃しないだろうから安心すればいいっていうのも理屈ではわかる。でもそうじゃないんだ。怖いっていうのは僕がどうこうって話じゃない。あんなもの見せつけられたら、僕は怖い」
 ノエルはその言葉に何も言えないようだった。落としてきた厚手の手袋と一緒に魂まで落としてきたかのように茫然としている。茫然としたいのはこっちの方だった。遠くでサイレンが聞こえる。雪女に対しての対応だけはやけに早い世界なのだ。シーツに醤油を垂らしたらそれはそれは目立つし。
「怖い……」
 リンゴジュースを置いてきてしまったのに気が付いた。こんなことなら果汁30%の安いやつを買えばよかった。
「父も、私を見て怖がるでしょうか」
「そんなの、会って確かめればいい」
「私ずっと思ってたんです。どう足掻いたって私は雪女です。それは、父にとっても娘であるより先に雪女なんじゃないかって――ぁ」
 ノエルが急に立ち止まった。目的地ではない場所のはずだ。だって、ここはどん詰まり。見えるのは海と、カップルがどうでもいい与太話をする為だけに設置されたベンチ。それにコンクリートの壁だけだ。動揺し過ぎてめちゃくちゃな場所に来てしまったらしい。もう保護官たちはすぐ傍に来ているだろうに大きなロスだ。サイレンの音は存外近い。
「ノエル、戻るぞ。すぐそこまで保護官が来てる」
「オブスマさん」
「何だよ、住所間違えてるんじゃないのか。海しかないぞここ」
「オブスマさん、合ってます」
 ノエルが頑なに見せなかった封筒の住所を必死で壁の住所表示と照合する。けれどそこに書いてある文字列と壁の文字列は完全に一致している。ここがノエルの実家の住所だ。実のところそこはこの僕も慣れ親しんだ住所だったのだけれど、いやはや、実際に来るのは初めてだった。こんな適当な場所だった。
「なあ、父親の名前、何て言うの?」
 ノエルは迷子の羊みたいにわかりやすく動揺していたけれど、太いマフラーから小さな唇をちゃんと出して、僕が聞こえない振りを出来ないようにはっきりとした声で言った。
「サンタ・クロース」

 そういう展開か。




 先天的に雪女の形質を持った子供は、大方が子供の内に家族と引き離され居住区に連れて行かれる。ここまではもう話した通りだ。
 でも、想像してみて欲しい。雪女なんて忌み嫌われる化物だ。自分の娘が忌み嫌われる化物、これからの世界大戦で生物兵器になるかもしれない生き物だと判明した時、手紙を欠かさず送ってくれる慈愛に満ちた両親は一体何人いるだろう?

 僕はオブスマ三郎。雪女保護管理局に勤める三十四歳で、ペンネームをサンタ・クロースという。

 察しの良い貴方ならもうわかっているかもしれない。というか、わからないはずがないと思う。この可哀想な雪女は、生憎そこまで深く愛されていなかったようだ。クリスマスにもお正月にも誕生日にも、彼女に両親からの手紙なんてこなかった。
 四、五歳で雪女症候群を発症した子供なら言い聞かせればわかる。彼女たちはまずそれについて言い含められるからだ。そして、阿鼻叫喚のお別れタイムとなる。
 しかし、彼女のように右も左もわからない内に居住区に連れて行かれた子供にはそれもない。そういう子供たちは小学校に上がるくらいになると、すぐ同じ疑問にぶち当たる。個性の重要性が叫ばれて久しいが、本当にその通りだ。――ノエルのパパとママは何処?
 そこで両親からの手紙やプレゼントがもらえている恵まれた子供ならまだいい。大方は、まるで不良品の玩具がベルトコンベアから押しのけられるように、両親の記憶から黒歴史として抹消される。
 ノエルもそんな子供の一人だったのだろう。そうなれば、親からの手紙がある子供と、ない子供。最下層の居住区の中でも更に格差が生じてしまう。政府はそれを憐れんだわけじゃなく、そこから子供が不満を持ち暴れ出すことを怖れていただけなのだが、ともあれ対策を講じた。こうしてノエルは小学校三年生くらいには無事に手紙を受け取ったことだろう。
 それは大成功だったと言ってもいいかもしれない。だって、目の前の三つ編み女は、十六歳になってもまだ、架空の父親を信奉している。
 もういいだろう。僕はそういう子供たちに、彼女たちを完全に見棄てた両親の代わりに、父親として手紙を書いてやる役割だった。元々作家志望だった僕は、夢に挫折し細々とエロゲのシナリオライターをやっている時に、国にスカウトされたのだ。僕なんかが引き抜かれたのは、単にその役割が大したものじゃなかったからである。
 そうして僕は公務員になった。ワードを開いて可哀想な雪女の子供たちにカタカタと手紙を書いて、印刷して、まるで遺言書のように『サンタ・クロース』と署名を一筆。毎日九時に出勤して五時には帰る、退職金に夢が持てる公務員だ。その間も僕は沢山の文章を書いたが、結局小説の形で読んで貰えることなんか多分なかった。他人の目に触れたのは、サンタ・クロースの手紙だけだ。
 子供たちはその手紙をこっそり一人で読み、私の父親は私を案じてくれている、私の成長を楽しみにしてくれている、私に会いたいと願ってくれている、私の父親である『サンタ・クロース』さんは、私のことを愛してくれている! と幸せな気分に浸るわけだ。まったく、コストパフォーマンスのいいハッピーメイカーだと思う。僕の仕事は二次元の理想的な女の子にエロいハプニングを起こして世の中に頭の湧いた幸せを振りまいていた頃と何にも変わっちゃいないのだ。実体なんて何もない。
 そんな手紙にちゃんとした住所がのっているはずがない。今度からはサンタ・クロースの住所をちゃんと収容所にするべきだ。そうしたら多分、この仕事は随分効率的になる。
「オブスマさん、どうかしましたか」
「感想は?」
「え?」
「サンタ・クロースに会った感想は?」
 ノエルが何を考えてサンタさんに会いたかったのかはわからない。居住区に閉じ込められて忌み嫌われていた雪女が、抱きしめて貰える唯一の場所がここだと彼女は思っていたのだろうか。それなら抱きしめてやろうじゃないか。ゲームディスクには抱きしめて貰えないけれど、生憎君の幻想の黒幕は三十四歳の独身男性だ。君がその鎧のような厚着をしている間は、僕は君を抱きしめてやれる。でも、それでおしまいだ。一度居住区に移った雪女は、両親が自分からコンタクトを取ろうと思わない限り家族の居場所なんて分からない。これからもノエルは家族に会えない。絶対に。
 ノエルは目をパチパチさせていた。田舎にいると頭も鈍くなるのかよ、といかにもな偏見を与えてから三秒。ノエルの口がゆっくり開いた。
「オブスマさんが私の父親だったんですか……」
「俺は一応まだ独身なんだ」
「サンタさんは痴漢じゃありません」
「痴漢で捕まる人間の大多数は痴漢を専業にしていないサラリーマンだと思うぞ」
 僕は一斉に印刷し黙々と宛名を書いていたはずのノエルへの手紙の内容を覚えていない。きっちりとした就業時間に紡ぎだされた一見愛情のような公共事業をここまで信じてくれていたのだから、まったく書き手冥利に尽きる。この行動自体、作家志望だった僕が求めていたファンレターに通じるものがある気がする。ただ本当はこれからも、便箋越しの清いお付き合いをしたかった。
「幻滅した?」
 何も悪いことなんかしていないのに、恐る恐るそう尋ねた。ノエルの顔は奇妙に穏やかだった。ノエルは近くにあった赤と緑のカラーのベンチに座る。カップルが与太話をする為だけの暢気なベンチだ。僕も釣られてその隣に座る。海から吹く風は尋常じゃなく冷たかった。
「ペンネームのサンタ・クロースって……何か名前の由来あるんですか?」
「あー……なんだったかな。凄い古い伝説だよ。なんか、幸せ巻く妖精みたいな」
「なんですか、それ」
「そいつクリスマスにしか仕事しないんだよ。だから雪女には合ってる」
「怠け者ですね」
「人類の夢だね」
「それに詩的ですね」
「作家志望だったからね」
「諦めたんですか」
「そういうこともあるからな」
「だから痴漢に?」
「……そういうこともあったんだな」
 作家になれる人間なんて、本当に少ない。大多数の作家志望者が書く物語はつまらないからだ。毎日毎日書き続けていても、どう頑張ってもつまらない。自分の中だけで拍手喝采を浴びる小説たちは、出版社へ送ったりあるいはネット掲載をする度に悪意すら与えて貰えない無関心に殺されていく。だってそれはつまらないからだ。
 だから僕は関心を得られる方へとゆっくりゆっくり流れて行った。その結果がこの仕事だったというわけだ。僕はどれだけの雪女の感動や笑顔を勝ち取ったことだろう。統計なんて取れないけれど、僕の小説を無視した編集者が出版にこぎつけたくだらない小説なんかよりずっと多くの雪女に読まれたことは確かだ。
「私は収容所送りですか」
 淡々とノエルが尋ねた。きっちり編んだ三つ編みが風に煽られていく。収容所がどんな場所かは知らないが、こんな風に綺麗に三つ編みを編めるような環境じゃないことは確かだろう。
「そうなるね」
「オブスマさんは……」
「……君を見逃した共犯として収容所送りになるよりは痴漢で自首して刑務所行った方が何百倍もマシだな。公務員じゃいられなくなりそうだけど、初犯だし多分罰金で済むし」
 ただ、追いかけてくるだろう保護官がこんな話を信じてくれるかは微妙だ。痴漢したら人生が終わりました! とはよくある痴漢防止用のキャッチフレーズではあるけれど、まさか本当にそんなことが起こるなんて、多分誰も思っていない。そもそも人生なんてそう簡単には終わらない。雪女にでもならない限り。
「……私、何の為に生まれて来たんでしょう」
「でも、それは多分この国に生きてる大部分が思ってることだろうからノエルちゃんも頑張って」
「そういう意味じゃないってわかってる癖に」
 雪女になりたくてなったわけじゃない。けれど、僕たちが君を雪女にしたわけじゃない。理不尽具合ならお互い様だ。
「…………例えば」
「うん」
「私が普通の女の子として生きることを諦めることと、作家として生きることを諦めることを天秤にかけたら」
 ノエルの三つ編みに霜が降っていた。知らず知らずの内に自分を凍らせてしまっているのかもしれない。手袋もしていない手でその霜を払う。ノエルの髪の毛は氷点下の温度を携えてはいなかった。人間でも体温の範疇外にある部分だからかもしれない。三つ編みそれ自体はは温かくも冷たくもなかった。
「……絶対私の方が重いって、言えないと思うんですよ」
「そうかな」そんなことはない。
「オブスマさんがサンタ・クロースとして生きることにどのくらい絶望があるかなんて私にはわかりませんから」
 ノエルが僕にもたれかかってきた。そのままぱたりと僕の膝の上に頭を預ける。その頭はやっぱり僕には冷たい。凍ったひざ掛けをかけられたような感覚を覚えた。冷たくて痛い。けれど僕はその頭を無下に払い落とす気にはなれなかった。それには二つ理由がある。
 一つは、ノエルが父親に対してやりたかったことが、こういう他愛の無いことだったのかもしれないと思ったからだった。十六年間雪女として生きてきた彼女が願ったことがあまりにくだらないことなんじゃないかと気づき始めてしまい、怖かったからだ。
 もう一つの理由はもっとシンプルな理由になる。もう既に、僕らの座っているベンチの右手に、さっきまで騒音レベルのサイレンを掻き鳴らしていた張本人たちが並んでいたからだった。
「『佐々木ノエル、速やかに投降しなさい』
 僕らの左手はご存じの通り壁だった。そんな袋小路の状況の僕らに対し、十六歳のノエルには相応しくないような重装備の保護官たちが十何人で徒党を組んで立っている。ショットガンを熊以外に向けているのを初めて見た。
「『そこの男は誰だ』」
「わ……私は保護官のオブスマ三郎です」
「『それなら何故佐々木ノエルを捕まえない』」
「……人質だから?」
 雪女を膝枕しないと殺されるんです。という言い訳は切実なのにあまりにもナンセンスだと思われたらしい。何丁かのショットガンは僕の方を向いた。どうにもお仕舞いなようだった。
 ようやくノエルは僕の膝からのろのろと起き上がる。まるで右手が脆い美術品でもあるかのようにそっと庇いながら。その右手が僕を傷つけるものだとちゃんと理解しているのだ。ノエルの身体の中で僕が触れるのは霜の降りた三つ編みしかない。
「今までありがとうございましたオブスマさん」
 ショットガンの銃口が少しだけ動揺する。けれど撃たない。まだノエルが僕を凍らせる意思を見せていないからだろう。ノエルはただ、十六歳の女の子が戯れでよくそうするように、僕に抱き着いて見せただけだった。耳の裏側で、ノエルが囁く。痴漢を咎めた時とは全然違う、温かい声だった。
「私の十六年はオブスマさんに支えて貰ったわけですね」
 そうなんだろうか。僕は今日一日でノエルの十六年をぶち壊した気がしてならない。女の子に抱きしめて貰っているとは思えないくらい冷たいものを感じながら、僕もノエルの背中に手を回した。一度氷点下に触れた右手は少しだけ痺れた。
「……さっきの話の教訓は?」
 ノエルがあの諦めたような笑顔で僕を見る。そして、言った。
「オブスマさんの方が雪女の私よりもずっと最悪な状態かもしれないですよってことですね!」

 そう言ったノエルが凶器の右手を思いっ切り海の方へ掲げた。

 ショットガンはまた警戒するようノエルへその先を一斉に向けたが、撃たなかった。どうやら上の方で何やら揉めているらしい。雪女をみだりに撃って居住区の雪女たちが反感を覚えたらどうする、現場の人間はみんな命を張っているんだ等々。いつどこであっても責任の押し付け合いにはレパートリーの乏しさが目立つ。彼らは全員公務員なのだ。
 今なら思う。彼らは後の責任も他の雪女たちの反感も気にせず、ノエルを射殺しておくべきだったのだ。ノエルは人間じゃなく、迫害対象で、大きな力を持っている恐ろしい怪物で、次の世界大戦では生物兵器になるかもしれない人間のペットだ。そう定義したのは政府のはずなのに、あまりにも馬鹿げた判断だった。
 ノエルが凍らせたのは何か、最初はわからなかった。
 けれど、すぐに思い至る。売れないエロゲライターとうだつのあがらない公務員しか就労経験がない僕でも、中堅私立大学くらいは出ているし、そもそも空気中に微量の水分が含まれているなんてことは確か小学校で習う話だ。そして多分、この忌々しい海の周りは殊更その量が多い。
 ノエルは何の躊躇いもなく急ごしらえした氷の橋に足をかけ、華やかでしれっとした笑顔で言う。
「オブスマさん、行きますよ」
「何処にだよ」
「この先です。示談金は要りませんから、早く着いてきてください」
「馬鹿か、お前」
 ノエルがダサくて冴えない厚手の手袋をした左手を差し伸べた。
「オブスマさん、私と逃げましょう」
「俺は痴漢の罰金くらい払える程度には稼いでるんだけど」
「私、オブスマさんとなら逃げようかなって思うんですよ」
 真剣な目だ。冷たい右手にはいつの間にかサンタ・クロースからの手紙をしっかりと握っている。僕はそこに書いた。『愛しているよ――ノエル』なんて、定型文染みた言葉を! そこに入る名前は昨日は奈緒子だったし明日には宇佐美だった。それでもノエルはその手紙を捨てるつもりなんかきっとない。
「無理に決まってるだろ、雪女なんかすぐにバレるし何処に行ったって保護官はいるし、俺はお前らの居住区でなんか暮らせない」
「公約数的な場所に行けばいいでしょう。もう、作家志望なら少しくらい夢的なもの持てよ変態」
「……会ったばかりでしかも痴漢した相手と人生を共にって重いよ」
「何言ってるんですか、私とオブスマさんの仲じゃないですか」
 氷点下の右手がばさばさと僕の真面目な勤務態度の成果をはためかせている。僕の仕事の全て。僕の嘘。
「私はサンタ・クロースからの手紙で何度も笑ったし、泣きました。私は貴方の小説の唯一のファンですよ。失うには惜し過ぎませんか」
 ……そんなことは恐らくない。僕が偽の手紙をでっち上げて送ってやった雪女なんて沢山いる。今だって、自分の父親はサンタ・クロースだと信じている子供が居住区には沢山いるだろう。けれど、目の前の三つ編み女は、お伽噺の裏側を見てそれでもそこにしがみ付こうとしてやがる。
 玻璃の莚というのはこんな感じだろうか。ノエルが僕の目の前に作った道は恐ろしいほど綺麗だ。
 僕は機能性しか良いところがないノエルの厚手の手袋を掴む。人間と雪女の共存はこんなに簡単に出来てしまう。こんなダサい手袋一枚だ。
「『無駄な抵抗を止めて降りてきなさい! オブスマ、佐々木ノエル!』」
 どう見ても戻ったら射殺されそうな雰囲気だった。もうオブスマ三郎の居場所はあそこにはないだろう。公務員失格だ。それなりの退職金を貰わないまま公務員をやめるのは馬鹿がやることだけれど、ショットガンには替えられない。今日を以てオブスマ三郎は廃業だ。愛国心に欠けた僕は敬礼を揶揄して言う。
「どうもサンタ・クロースです」
 ノエルも続けて躊躇いなく氷の道を駆け上りながら三つ編みの似合う笑顔で言った。
「私はご存じの通り佐々木ノエルです! 由来はクリスマスです! 皆さんメリークリスマス!」
 海から立ち上る高湿度の空気を固めて作った薄すぎる橋を保護官たちは登れないだろう。容赦なく撃ち込んでくる弾丸は、ノエルや僕に当たる前に氷の壁に阻まれて海に消えて行った。なるほど、雪女が怖れられるのもわかる。けれど、ノエルはこの力を一生僕に向けないだろう。この力は自分と僕を守る為のものなのだ。
 為す術もなく立ちつくす保護官たちを後ろ目に、ノエルと俺は冬を昇って行く。とりあえず世界は繋がっているのだし、こんな芸当が出来るなら捕まる心配もとりあえず無いかもしれない。目の前の三つ編み女は次の世界大戦で生物兵器になると言われている雪女だ。
「どんどん崩れてきてるんですけど」
「オブスマさんの足が遅いからです、冬の海にドボンといきたいですか」
「少しは待てよ、お前の作家だぞ」
「ずっと待ってましたよ、私は」
 痴漢で人生が終わるというのは本当だったな、と今更思う。けれど、目の前の三つ編みに強制的に就かされた小説家という職業は、ノエルがいなくならない限り廃業することはない。エロゲのシナリオライターを経て雪女保護局の公務員を任されつつ痴漢に成り下がり、今夢を叶えさせられてしまっている。人生が終わっても、何かしらそれに近いものは始まるものなのだ。
 これからどうしよう。しかしノエルは人生を楽しむ気が満々だ。それなら僕も、それに引き摺り倒されるしかないだろう。ぬいぐるみだって買ってやったっていい。それで殴り殺されるなら、それはそれでなんて素敵。
 僕は適当にその名前を名乗り始めたが、サンタ・クロースについて書いてある本だってこの世の何処かにはまだあるはずだ。本格的にサンタ・クロースを始めよう。専業小説家が儲からないこの時代に、兼業としてサンタ・クロースを始めるのも悪くないかもしれない。






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 痴漢をしたら人生が終わった系公務員ファンタジーとして、お題を頂き一年前のクリスマス付近に書いた恥ずかしいくらいのハッピーエンドの代物。ピクシブで何か賞を取ったのは初めてなのでなかなか思い出深いのにハッピーエンドが恥ずかしい。続編を書くかもしれないので載せてみた。
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